禪興寺は文永2 年(1265)松島円福寺一世法心性西(ほっしんしょうさい)禅師によって開創され、寺号を長福寺と称しました。 現在、禪興寺周辺の地域を長福寺囲いと呼んでいますが、往時の寺号に由来するものです。
開創翌年火災で堂宇を焼失し荒廃の時代が続きましたが、寛文10年(1670)松島瑞巌寺百二世大領義猷(だいりょうぎゆう) <勅諡本光瑞如禅師>によって再興され現在に至っています。本尊は延命地蔵菩薩で天正2
年(1574)の開眼銘が記されています。
大領和尚は、当吉田の出身で父は鈴木氏、曽祖父の代より黒川氏に仕える武功の臣でした。 幼少にして瑞巌寺百世洞水東初(どうすいとうしょ)
和尚の弟子となり、洞水門下の一哲、鵬雲東搏(ほううんとうばく)和尚の法を嗣いだ道学兼備の名僧でありました。
四代藩主綱村公が儒教から禅に傾倒したころ大領和尚を頻繁に招聘されている(伊達治家記録)が、藩主の信任厚かったことがうかがえます。
大領和尚は元禄3年(1690)1月2日世寿61歳で示寂されています。法嗣は定嶽東慧(じょうがくとうえ)<報恩寺中興一世>寂隠慧中(じゃくいんえちゅう)<禪興寺中興二世>の2人でした。
当山裏山中腹に師の塔が建っています。
山門および観音堂は元禄元年(1688)大領和尚によって建立された貴重な遺構です。