清浄山 禪興寺

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和尚随筆

2015.09/24

和尚随筆

「佛心」3月号より

宮城県と山形県に境を連ねる日本の背骨、舟形連峰を背景に、東北百景に数えられる「七つ森」山麓にひっそりと佇む山寺・禪興寺。山中より湧き出づる渓流が境内を流れ、新緑、蛍の乱舞、蝉時雨、紅葉、落葉と季節が移ると、一面白銀世界の到来である。
深々と雪が積もった後に、日本海の潮の湿気をたっぷり吸った寒気が舟形連峰を超え、舟形颪(おろし)と称して、地吹雪と化す。足元さえ見えない地吹雪が吹き荒ぶ山麓の平原は、わかっていてさえ生命の底蓋をこじ開けられるかの様な不気味な戦慄を感じさせる。漸く晴れ間が開けると、雪掻きは時間との闘いだ。雪が融け始める前に大方雪掻きを片付けてしまわねば、大事(おおごと)になる。
融けた雪は除雪車のローラーに絡まり、ロールケーキ状になったらもう使用不能で、お手上げ。ずっしり重い雪と、腰を伸ばし伸ばし、手作業での格闘に突入だ。「やれやれ」と汗を拭い、防寒着の中は汗まみれになって、漸く家へ戻ってみれば、融けた屋根の雪が雪崩の如く軒下に山積みとなって入口を塞ぐ。放っておけば翌朝には鶴嘴も役に立たぬ程カチンカチンに凍て付いてしまう。
ドーンと雪の落ちる地響きが聞こえたら、昼夜を舎(お)かず、鉄製スコップ片手に飛び出してゆかねばならぬ。そしてまだ融けやらぬ表氷の上に、又、新たな雪が降り積もる。
 こうして果てしのない雪掻き作業の最中に、いつも思い起こされる禅の言葉が「擔雪填古井」(雪を澹〔にの〕うて古井〔こせい〕を填〔うず〕む)である。*注1 
華厳経の中に出てくる徳雲比丘という高僧が、悟りを極められた後、そこに留まらず、迷いの娑婆世界に戻り来たって、雪を擔って井戸を填めようと精を出された逸話である。雪は井戸に投げ込み、水に触れた途端、無論あっという間に融けてしまう。どんなに努力しても詮無い無駄骨折り、水泡に帰すの譬えの如くである。
 東日本大震災より三月十一日で早や丸二年が経過した。遅々として進まぬ復興の只中で、しかし東北地方を中心とする被災の民は、いつまでも下を向いたままではいられぬ。まだ将来への展望も見えぬままに、塗炭の苦しみに耐え、もがき続けながら、各々の立場でできることを精一杯、力の限り生き抜いている。
瓦礫に埋まった浜や海中の瓦礫拾い、塩水に浸かった田畑の塩水抜き作業等々、生活を支える全ての基盤が失われた状況で、気の遠くなる作業の繰り返しがあった。復興への実感はおろか、無意味な無駄骨折りとしか感じられぬ程、途方もなく、果てしのない苦難の連続の中で、只黙々と地に足を付け、互いに労り、支え合い、励まし合ってきた。その被災の民の心の奥底には、有史以来幾度となく繰り返し甚大な天災に見舞われ、その都度必死に耐え抜き、復興を果たしてきた先祖伝来のDNAが宿っているに違いない。東北人の気質は「粘り強い」と評される。長く厳しい冬の気候の中で培われた忍耐の力が「胆力」となり、自然の猛威に晒されながらも、天を恨まず、自然と共存する民族の心根が鍛錬されたのだろうか。
 我が臨済宗の宗祖臨済禅師の行禄*注2

「臨済録」に{臨済栽松}の一節がある。
 ある日臨済禅師が黄檗山中で庭へ松を植えておられた。そこへ師匠である御隠居の黄檗禅師がお出でになり、「こんな山の中に今更松を植えてどうするのじゃ。松なんぞ植えんでもいくらでも生えておるではないか」と言われた。すると臨済禅師は「一つには、山門の与(ため)の境致となし、二つには、後人の与(ため)に標榜となさん」と応えられたとされる。「この境内の趣を更に幽玄とすべく、後世の者の手本となる」べく、承知で無駄骨折りをしております、と胸を張って応えられたのだ。師匠の黄檗禅師は「吾が宗、汝に到って大いに世に興(おこ)らん」と賞されたとされる。「ひげの老子」で有名な妙心寺派の元管長猊下・山田無文老師は、「何もせんやつが一番いかん。」「用がなくても、何か勤労をせねばいかん。役に立たん無駄骨でもいいから、何かをしておらねばいかん。そこに禅がある」「なるべく働かんように、なるべく楽をして、遊んでおってうまいことをしようと考えておる。そこに人間の堕落がある」と、一刀両断された。*注3
 原発の放射能被害から故郷を追われた方々が、福島県三春町の「滝桜」の近くにある仮設住宅に避難されている。天下にその名を知られた「滝桜」は樹齢千年を超え、奔流する滝水の流れを思わせる。その滝桜は今、原発事故で苦しむ人々にとって特別な存在となっている。滝桜の近くにある仮設住宅に避難してきた人々は、滝桜に故郷の桜を重ね、いつか戻れる日を祈る。又、滝桜の生命力にあやかりたいという人のため福島から各地に送られた苗は3万本、全国で見事な花を咲かせている。
昨年の十二月半ば、我が禪興寺の渓流を挟む雑木林に、三春の滝桜の実生から育てた苗木を十二本植樹した。これらの木が見事な花を咲き誇る頃、その世代は確かな復興を遂げているだろうか。未来の世代は先人の思いを受け止めるだろうか。雪が融け、春の景色が色づく頃、今年生まれて初めての花を咲かせるだろう。大切に植えた苗木の向こうには、今日も七つ森が大らかにその雄姿を見せている。合掌

*注1雪竇(せっちょう)重顕禅師「祖英集」
**注2 (アンロク)禅宗で、僧の行状伝記を記録したもの〔広辞苑〕
**注3山田無文著臨済録・禅文化研究所

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和尚随筆

2015.09/24
和尚随筆

「佛心」3月号より

宮城県と山形県に境を連ねる日本の背骨、舟形連峰を背景に、東北百景に数えられる「七つ森」山麓にひっそりと佇む山寺・禪興寺。山中より湧き出づる渓流が境内を流れ、新緑、蛍の乱舞、蝉時雨、紅葉、落葉と季節が移ると、一面白銀世界の到来である。
深々と雪が積もった後に、日本海の潮の湿気をたっぷり吸った寒気が舟形連峰を超え、舟形颪(おろし)と称して、地吹雪と化す。足元さえ見えない地吹雪が吹き荒ぶ山麓の平原は、わかっていてさえ生命の底蓋をこじ開けられるかの様な不気味な戦慄を感じさせる。漸く晴れ間が開けると、雪掻きは時間との闘いだ。雪が融け始める前に大方雪掻きを片付けてしまわねば、大事(おおごと)になる。
融けた雪は除雪車のローラーに絡まり、ロールケーキ状になったらもう使用不能で、お手上げ。ずっしり重い雪と、腰を伸ばし伸ばし、手作業での格闘に突入だ。「やれやれ」と汗を拭い、防寒着の中は汗まみれになって、漸く家へ戻ってみれば、融けた屋根の雪が雪崩の如く軒下に山積みとなって入口を塞ぐ。放っておけば翌朝には鶴嘴も役に立たぬ程カチンカチンに凍て付いてしまう。
ドーンと雪の落ちる地響きが聞こえたら、昼夜を舎(お)かず、鉄製スコップ片手に飛び出してゆかねばならぬ。そしてまだ融けやらぬ表氷の上に、又、新たな雪が降り積もる。
 こうして果てしのない雪掻き作業の最中に、いつも思い起こされる禅の言葉が「擔雪填古井」(雪を澹〔にの〕うて古井〔こせい〕を填〔うず〕む)である。*注1 
華厳経の中に出てくる徳雲比丘という高僧が、悟りを極められた後、そこに留まらず、迷いの娑婆世界に戻り来たって、雪を擔って井戸を填めようと精を出された逸話である。雪は井戸に投げ込み、水に触れた途端、無論あっという間に融けてしまう。どんなに努力しても詮無い無駄骨折り、水泡に帰すの譬えの如くである。
 東日本大震災より三月十一日で早や丸二年が経過した。遅々として進まぬ復興の只中で、しかし東北地方を中心とする被災の民は、いつまでも下を向いたままではいられぬ。まだ将来への展望も見えぬままに、塗炭の苦しみに耐え、もがき続けながら、各々の立場でできることを精一杯、力の限り生き抜いている。
瓦礫に埋まった浜や海中の瓦礫拾い、塩水に浸かった田畑の塩水抜き作業等々、生活を支える全ての基盤が失われた状況で、気の遠くなる作業の繰り返しがあった。復興への実感はおろか、無意味な無駄骨折りとしか感じられぬ程、途方もなく、果てしのない苦難の連続の中で、只黙々と地に足を付け、互いに労り、支え合い、励まし合ってきた。その被災の民の心の奥底には、有史以来幾度となく繰り返し甚大な天災に見舞われ、その都度必死に耐え抜き、復興を果たしてきた先祖伝来のDNAが宿っているに違いない。東北人の気質は「粘り強い」と評される。長く厳しい冬の気候の中で培われた忍耐の力が「胆力」となり、自然の猛威に晒されながらも、天を恨まず、自然と共存する民族の心根が鍛錬されたのだろうか。
 我が臨済宗の宗祖臨済禅師の行禄*注2

「臨済録」に{臨済栽松}の一節がある。
 ある日臨済禅師が黄檗山中で庭へ松を植えておられた。そこへ師匠である御隠居の黄檗禅師がお出でになり、「こんな山の中に今更松を植えてどうするのじゃ。松なんぞ植えんでもいくらでも生えておるではないか」と言われた。すると臨済禅師は「一つには、山門の与(ため)の境致となし、二つには、後人の与(ため)に標榜となさん」と応えられたとされる。「この境内の趣を更に幽玄とすべく、後世の者の手本となる」べく、承知で無駄骨折りをしております、と胸を張って応えられたのだ。師匠の黄檗禅師は「吾が宗、汝に到って大いに世に興(おこ)らん」と賞されたとされる。「ひげの老子」で有名な妙心寺派の元管長猊下・山田無文老師は、「何もせんやつが一番いかん。」「用がなくても、何か勤労をせねばいかん。役に立たん無駄骨でもいいから、何かをしておらねばいかん。そこに禅がある」「なるべく働かんように、なるべく楽をして、遊んでおってうまいことをしようと考えておる。そこに人間の堕落がある」と、一刀両断された。*注3
 原発の放射能被害から故郷を追われた方々が、福島県三春町の「滝桜」の近くにある仮設住宅に避難されている。天下にその名を知られた「滝桜」は樹齢千年を超え、奔流する滝水の流れを思わせる。その滝桜は今、原発事故で苦しむ人々にとって特別な存在となっている。滝桜の近くにある仮設住宅に避難してきた人々は、滝桜に故郷の桜を重ね、いつか戻れる日を祈る。又、滝桜の生命力にあやかりたいという人のため福島から各地に送られた苗は3万本、全国で見事な花を咲かせている。
昨年の十二月半ば、我が禪興寺の渓流を挟む雑木林に、三春の滝桜の実生から育てた苗木を十二本植樹した。これらの木が見事な花を咲き誇る頃、その世代は確かな復興を遂げているだろうか。未来の世代は先人の思いを受け止めるだろうか。雪が融け、春の景色が色づく頃、今年生まれて初めての花を咲かせるだろう。大切に植えた苗木の向こうには、今日も七つ森が大らかにその雄姿を見せている。合掌

*注1雪竇(せっちょう)重顕禅師「祖英集」
**注2 (アンロク)禅宗で、僧の行状伝記を記録したもの〔広辞苑〕
**注3山田無文著臨済録・禅文化研究所

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